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人生の完全燃焼を 〜季節はone's life〜

人生の与えられた時間を最も有意義に、授かった能力を最大限に発揮して、自分を最後の搾りカスになるまで使い切りたい。そのために先ず、「本当の自分」を発見しなければとずっと考えていた。私は確固たる決意も展望もなく、絵を描くのが好きだという理由だけで市立高校の美術科を受験し、入学願書の第2志望欄になんとなく「建築科」と書き添えたのが、振り返れば運命の始まりだった。理系な高校生生活を3年間送り、建築の試験機関に就職した。しかし、社会人4年目を迎えた頃、会社の理解もあって、大学に進み、昔から興味のあった日本文学の勉強を始めた。
ところが、皮肉なことに、建築の素晴らしさを知った高校の3年間は、私自身に大きな変化をもたらしていた。仕事以外の時間で建築から目を背けると、自分でも不思議なくらい「建築をもっと極めたい」と思うようになった。大学を卒業するとすぐ、別の大学の建築学科の門を叩いた。経済的理由により、実際に通う事は出来なかったものの、いつか勉強し直したいと考えている。
また、スポーツではバトルボールは一生続けていくと決心している。絵が好きだから油絵も本格的にやりたいし、人の書けない面白い小説や映画のシナリオも書いてみたい…。残りの人生と反比例する願望・野望だけが日々膨張する。学問でもスポーツでもどれかひとつを極めようとすれば、必然的に他の何かがないがしろになる。少なくとも私にとっては、拭い切れない葛藤であり苦悩だ。的を絞らず欲張れば、結果は「二兎を追う者は一兎をも得ず」の諺そのものになる。どっちつかずの中途半端な人間だと半ば諦めているが、どれも広く浅くでは納得がいかない。「適性診断」というものが、私にはなぜか「占い」にしか思えない。40歳半ばを迎えても、自分発見の旅が終わらない気がする。
いつも、「できる人」を見て、「どうしてそんな事がいとも簡単にできるんだ」と感心する。楽器の苦手な私には鍵盤を見ないピアニストが、法律の苦手な私には刑法の条文を暗誦する法律家がどうにも信じられない存在だ。しかし、私が一世一代の特技を披瀝すれば、かれらは逆に目を見張るかもしれない。やはり、人には天賦の才能があるのだろう。ある特定の道でしか生きられないのだろうか。
人生80年はあまりにも短か過ぎる。この世のあらゆる事を知り挑戦したいと幻想するのは私だけではないはずだ。学問では工学、文学、医学、哲学、語学…。スポーツ以外なら創作、旅行、音楽…。この世の中には先人の築き上げた財産が学ぶ人・楽しむ人を待ち続けている。私にとって、その優先順位が建築やバトルボールであったに過ぎない。「クロス学歴」と言う言葉もあるが、大学ならおのずと専攻・専門に分かれ、複数の学科を同時に学ぶ事はできない。学問個々もそれぞれ奥深く、長い時間と並外れた修練が道を極めるためには求められる。無限の可能性が眠っていたはずの人間は、そのほんの一部を開花させて生涯を閉じる。あまりにももったいなく寂し過ぎる話だ。
極端なたとえだが、全くのゼロから「果汁100%のりんごジュース」を作ろうと思えば、途轍もない苦労を要するだろう。気の遠くなる歳月を費やしてりんごの木を育て、果実を実らせ、ジュースを搾るという過程を経て、ようやく目的達成となる。しかし、そんな苦労の結晶であるりんごジュースは、コンビニでいとも簡単に手に入る。つまり、ありとあらゆる物がお金で買える時代なのだ。教育産業においても、各種の資格講座が高額受講料の見返りに「合格保証」を詠っている。いつか、ノーベル級の学者が超短期間で人間の潜在能力を開花させ、自分にもわからない自分を発見し「完全燃焼」へと導いてくれるに違いない。本来語学に才能のある人なら『フランス語〜初級〜』のカセットを一晩聴けば、翌朝フランス語がある程度しゃべれるようになっている。また、本来スポーツに目覚めるべき人が『野球〜バッター編〜』のビデオを3時間鑑賞すれば、一流打者の仲間入りができると言った具合に…。
もちろん、そのカセットやビデオは結構な高額商品となるだろう。「それら」は、時間や努力すらお金で買える現代を象徴する。ただし、その道の達人・名人が積んだ筆舌に尽し難い努力に報いるため、「それら」には時限装置を搭載し、期限が来るとその効力を消滅させなければならない。しかし、まだまだ眠る潜在能力を次々と開花させ、「容量一杯」生きられたら、また、自分に最も相応しい形で社会に貢献できたら、人生どれほど素晴らしい事だろう。そんな未来が来るまで、生きる事の価値を追い求めて行きたい。

栄光の『人類史』再び 〜季節はpast&future〜

タイムマシンに乗って過去や未来に行き、歴史を修正するシーンはテレビや映画に頻出する。誰もが一度は夢想する事だ。しかし、私は真に修正すべきは「人類史」そのものだと思う。誤った使い方をすれば、地球自体をも滅ぼしかねない「科学」という名の両刃の剣。人類が繰り返してきた愚かな戦争・紛争。人の命がいかなる主義主張よりも重いものだと、なぜ気づかないのか。飽食を享受する豊かな国々は、なぜ貧困や飢餓に喘ぐ国々から目を背けるのか。毎日、新聞やテレビの報道を見聞きすれば、小学生にもその惨状は理解できるはずではだ。
科学の名の元に犠牲となった数限りない生命、開発の名の元に破壊されたかけがえのない環境。それでも決して終わらない人類のエゴイズム。地球温暖化や核の脅威を目の当たりにしても、聞き分けられぬ警鐘なのか。動物や植物が言葉を話せたら、彼らは私たちになんと訴えかけるだろう。彼らが私たち人類にはわからぬ危機を知らせてくれるなら、その心の叫び、その声が聞きたい。遠い未来、いや案外近い将来には実現しそうな気がする。科学はきっと、動物や植物の言葉を明確に解読するに違いない。しかし、それより以前に人類は、環境破壊の進む地球から脱出し他の惑星へ移住するかもしれない。
もし、人類の生み出した科学の力によって、それが成し遂げられたならば、その時点で実現した事柄に「必然性」が生まれる。「必然性」には「意味」があるはずだ。ただ、忘れてはならないのは、科学万能の時代でも決して「人類(あるいは人間という動物)」は万能ではないという事だ。人類は全知全能の神ではない。判断を誤るのもまた必然であり宿命なのかもしれない。だからこそ、移住先の星では地球で犯した同じ過ちは繰り返してはならない。
不動産用語に「最有効使用」という言葉がある。経済的にも物理的にも、2つとして同じものが存在しない不動産を、その名が示す通り最も有効に活用する、その価値を最大限に引き出すための用途を指す。コンビニが人の大勢集まる場所につくられるのは当然の事であり、誰も来ない山の頂きにあっても全く意味がないのと同様、惑星も「最有効使用」の状態にあるのが最も幸福なはずだ。私たち人類がそこに刻む歴史は、その相対的存在として相応しいものでなくてはならない。「最有効使用」の状態を待つ惑星に、人類は二度と再び傷痕を残してはならない。
私たちが感じる、いや、神によって生来与えられた「愛情や友情」は、動物や植物にも通じる。少なくとも私は、地球上のあらゆる生命と愛情や友情が共有できると信じたい。彼らと憎み合い傷つけ合う事なく、未来永劫幸福に共存していきたいと願う。地球で育て培った多くの思い出を持って移住し、誇りを持って「地球人」と名乗りたい。そして、唯一人類のみが持ち得る叡智を結集して、もう一度輝かしい「人類史」をその星に刻みつけたい。今の私たちに求められているのは、地球人である事の自覚。人類と環境(広くは宇宙)との真の共生について、一人一人が真剣に考える事ではないだろうか。
母なる地球もいつかは滅ぶ時が来るだろう。全宇宙の広大な営みの中では、その栄枯盛衰の歴史は「刹那」であり、誕生と滅亡はあまりにも「些細」な事柄に違いない。ハイブリッドカーやエコカーは、病んだ地球への「応急手当」なのかもしれない。本当はもっと早く生産されるべきだったのでしょう。そして、地球規模で普及しなければ、これからも人類は目先の便利さに対して、もっと大切なものを代償として払い続けることだろう。歴史を修正する時間旅行は、現在を、そして未来を白紙にする危険性を宿している。本当に大切なものは、失って初めてその大切さがわかる……よく言われるが、もうそんな「詩」なんか不要だ。しかし、誤った歴史があったからこそ、その価値が判ったものも多い。そんな経験を無にする事なく、私たちはいますぐに、大切なものをずっと守っていく努力を始めなければならない。
私がずっと描き続けてきた夢の実現には、やはり「科学」の手助けが不可欠だ。「両刃の剣」の矛盾に克って、もう一度科学を「最有効使用」の状態に戻す事が先決だ。そして、それ以前に私たち一人一人の意識を変える事が、新しい人類史の第一歩となる。

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