タイムマシンに乗って過去や未来に行き、歴史を修正するシーンはテレビや映画に頻出する。誰もが一度は夢想する事だ。しかし、私は真に修正すべきは「人類史」そのものだと思う。誤った使い方をすれば、地球自体をも滅ぼしかねない「科学」という名の両刃の剣。人類が繰り返してきた愚かな戦争・紛争。人の命がいかなる主義主張よりも重いものだと、なぜ気づかないのか。飽食を享受する豊かな国々は、なぜ貧困や飢餓に喘ぐ国々から目を背けるのか。毎日、新聞やテレビの報道を見聞きすれば、小学生にもその惨状は理解できるはずではだ。
科学の名の元に犠牲となった数限りない生命、開発の名の元に破壊されたかけがえのない環境。それでも決して終わらない人類のエゴイズム。地球温暖化や核の脅威を目の当たりにしても、聞き分けられぬ警鐘なのか。動物や植物が言葉を話せたら、彼らは私たちになんと訴えかけるだろう。彼らが私たち人類にはわからぬ危機を知らせてくれるなら、その心の叫び、その声が聞きたい。遠い未来、いや案外近い将来には実現しそうな気がする。科学はきっと、動物や植物の言葉を明確に解読するに違いない。しかし、それより以前に人類は、環境破壊の進む地球から脱出し他の惑星へ移住するかもしれない。
もし、人類の生み出した科学の力によって、それが成し遂げられたならば、その時点で実現した事柄に「必然性」が生まれる。「必然性」には「意味」があるはずだ。ただ、忘れてはならないのは、科学万能の時代でも決して「人類(あるいは人間という動物)」は万能ではないという事だ。人類は全知全能の神ではない。判断を誤るのもまた必然であり宿命なのかもしれない。だからこそ、移住先の星では地球で犯した同じ過ちは繰り返してはならない。
不動産用語に「最有効使用」という言葉がある。経済的にも物理的にも、2つとして同じものが存在しない不動産を、その名が示す通り最も有効に活用する、その価値を最大限に引き出すための用途を指す。コンビニが人の大勢集まる場所につくられるのは当然の事であり、誰も来ない山の頂きにあっても全く意味がないのと同様、惑星も「最有効使用」の状態にあるのが最も幸福なはずだ。私たち人類がそこに刻む歴史は、その相対的存在として相応しいものでなくてはならない。「最有効使用」の状態を待つ惑星に、人類は二度と再び傷痕を残してはならない。
私たちが感じる、いや、神によって生来与えられた「愛情や友情」は、動物や植物にも通じる。少なくとも私は、地球上のあらゆる生命と愛情や友情が共有できると信じたい。彼らと憎み合い傷つけ合う事なく、未来永劫幸福に共存していきたいと願う。地球で育て培った多くの思い出を持って移住し、誇りを持って「地球人」と名乗りたい。そして、唯一人類のみが持ち得る叡智を結集して、もう一度輝かしい「人類史」をその星に刻みつけたい。今の私たちに求められているのは、地球人である事の自覚。人類と環境(広くは宇宙)との真の共生について、一人一人が真剣に考える事ではないだろうか。
母なる地球もいつかは滅ぶ時が来るだろう。全宇宙の広大な営みの中では、その栄枯盛衰の歴史は「刹那」であり、誕生と滅亡はあまりにも「些細」な事柄に違いない。ハイブリッドカーやエコカーは、病んだ地球への「応急手当」なのかもしれない。本当はもっと早く生産されるべきだったのでしょう。そして、地球規模で普及しなければ、これからも人類は目先の便利さに対して、もっと大切なものを代償として払い続けることだろう。歴史を修正する時間旅行は、現在を、そして未来を白紙にする危険性を宿している。本当に大切なものは、失って初めてその大切さがわかる……よく言われるが、もうそんな「詩」なんか不要だ。しかし、誤った歴史があったからこそ、その価値が判ったものも多い。そんな経験を無にする事なく、私たちはいますぐに、大切なものをずっと守っていく努力を始めなければならない。
私がずっと描き続けてきた夢の実現には、やはり「科学」の手助けが不可欠だ。「両刃の剣」の矛盾に克って、もう一度科学を「最有効使用」の状態に戻す事が先決だ。そして、それ以前に私たち一人一人の意識を変える事が、新しい人類史の第一歩となる。 |